はじめまして!
3色パステルアーティスト/心と頭のおそうじセラピスト
KANAKOです。
当ブログにご訪問いただきましてありがとうございます!
私は都内でサラリーマンの夫と5歳の娘と暮らしているごく平凡なアラフォー主婦で、現在は在宅でネットビジネスをしています。
そもそもネットビジネスの世界に足を踏み入れたのは、出産がきっかけだったのですが、「この先子供との時間に融通が効くような働き方がしたい、そのためにも雇われる仕事から卒業したい」と自宅で自営する道を選びました。
最初に始めたせどりビジネスは5〜10万円とパート並の成果で良しとしていましたが、あるときビジネスを一気に方向転換しなければならない事態が発生。
そこで、「どうせなら好きな分野でやってみたい!」と決意を固めます。
娘が幼稚園入園を機に、新たなビジネスも本格的に着手、なんとかせどりビジネスも立て直すことができ、時間と収入にゆとりが生まれました。
今は好きなこと=自分をまるごと活かしたビジネス構築をしたり、必要な能力や知識を身に付けるために自己投資したり、家族との時間も十分確保できる満たされた毎日を送っています。
まだまだゴールまでの通過点でしかない現状ですが、自分でもこんな展開になるなんて思ってもみませんでした。
これまでの紆余曲折で今があるのだと感じる今日この頃ですが、ここからはそんな私のこれまでについてお話しさせていただきますので、最後までお付き合いいただけたら幸いです。
泣き虫だった幼少期〜非行に走った高校時代
両親の複雑な事情で、父の実家からとある町の一軒家に引っ越した私達一家5人。
当時父はサラリーマン、母は専業主婦、三姉妹の真ん中だった私は、大人の複雑な事情なんて知る由もなく、新しい土地での保育園ライフではただただ泣き虫だったという記憶があります。
なぜあの頃はあんなに泣き虫だったのか?
今思うと、「ただ単に繊細な子だったんだなー」と理解できます。
新しい生活ではもちろん贅沢はできなくて、我慢や倹約が多かったと思いますが、その状態が貧乏と感じることもなく、無邪気にすくすく成長できる環境だった印象です。
小学校〜中学校までは友人にも恵まれ、親から勉強しろと言われることもなく、毎日を自由に過ごし、好きだった絵の世界も頭角を表していました。
因みに小学校の文化祭作品は毎年コンクールに出展、コンクールが終わった後も校内に展示されたり、地元のTV番組で作品&インタビューが放映されたり、見本として学校に保管されたまま一枚も手元には戻ってきていません(返してー!)
反抗期、17歳で暴走し始めます(笑)
高校から一気に学区が広がり、環境の変化や新しい友人からの刺激、反抗期も重なったせいか、非行に走ります。
遅刻早退サボりの常習犯、お酒やタバコ、夜遅くまで遊んで朝帰り…そして、停学という決定的な事態で反省はしたものの、そこからの私は強烈なほど、「私は他とは違う」という個性やアイデンティティを求め、その答えが分からず、衝動的に自分で舌にピアスを開けたほどです(怖っ!)
なぜそんな行動に走ってしまったのか?
思い当たるのは家庭環境、特に母親に強く影響されたなと感じること多数。
母親がいつも話すことといえば、金遣いが荒くDVで家族を捨てた実父や、馬鹿にされ続けた舅姑と自分を裏切った友人への愚痴悪口など、気付くといつも繰り返し聞かされていましたが、その話に潜むイメージとは…
- 「お金は人生を狂わせるもの」
- 「舅姑は意地が悪い」
- 「人を信用してはいけない」
- 「母親は地味な存在」
こんな嫌でも超ネガティブになる思考が私達姉妹には刷り込まれていました。
いつからか、「母親のようにいつまでも人を憎む生き方は嫌だ、親や親戚と縁が切れても自立できるように、早く大人になって働きたい!」という考えが無意識に植え付けられていたのです。
20代〜夢の為ならどんな仕事でも頑張れた
高校卒業後、経済的な理由で希望であった美大を諦め、19歳で就職することに。
高待遇という理由だけで屋根職人になるも、男性社会、現場仕事の厳しさを思い知らされ、「この仕事をずっと続けるなんて無理に決まってる、体を壊したり大怪我する前に辞めよう」と10ケ月で退職。
この頃から、「やっぱり好きでもない仕事で正社員になるのはしっくりこない、私は好きな絵の世界で生きていくんだ!」と自分に正直になり、「そのためにはどうしたらいいのか?」だけを考え行動するようになります。
まずは、「東京で有名なスクールに通ってイラストレーターになりたい」そんな単純な思いで資金を貯める日々が始まりました。
好きでもない仕事の正社員にだけはならないと決め、派遣やアルバイトをいくつも転々とし、「夢を叶える為、自分にできる仕事ならなんでもやってみよう!」そんなモチベーションで、大変なこともそれなりに切り抜けてこれました。
努力が実ったのか導かれたのか、予想外の出来事が!
当時勤めていた職場で、「東京に転勤してみないか?」と上司が話してきたのです。
「そういう話なら上京を反対している両親も説得しやすい、このチャンスを逃したら次はない!」と直感した瞬間でした。
すぐに両親と話し合い、2年間という条件付きでついに上京&スクールに通えることに!
なぜこんなとんとん拍子に進んだのか?
このとき、「夢を願って行動すれば、本当に実現するんだ」という引き寄せの法則を身をもって体感。
かくして、フルタイムで働きながら休日はスクールに通うというハードな新生活がスタートしました。
転勤先の職場では同僚に恵まれ、プライベートも充実、初めての一人暮らしで開放感がハンパなかったのを覚えています。
月日はあっという間に流れ、約束の2年を目前にイラストレーターとしての芽がまだ出ないという現実に焦りを感じ始めます。
グループ展に両親を招待することに
何か打開策はないかと模索した結果、絵仲間3人で初めてのグループ展を開催する運びに。
そこへ両親を招待、仲間の力も借りて、「もう少しだけ東京での活動を続けたい!」そう話すと、熱意が伝わったのか許可してもらえることに成功!
それから約1年後、受講していたイラスト講座で、憧れの作家である村上龍氏の本のカバーイラストを担当するチャンスを掴み、念願だったイラストレーターとしてデビューを果たします。
その後、主に都内のギャラリーでのグループ展に多数参加、地元での初個展では展示作品約20点が完売。
この頃は徹夜で作業しても辛くなかったですし、絵仲間と夜遅くまで飲んで語らう時間が楽しくて、あっという間に毎日が過ぎていました。
夢が叶い友人からも、「目がキラキラしてる」と言われるほどとにかく充実感に満ちていました。
その後も活動に精力を注ぎ、作品審査という狭き門を通過して鈴木成一装画塾へ入門、貴重な学びや仲間から刺激を受けます。
なぜここでも、またとんとん拍子に進んだのか?
ここでの気付きは、自分の好きなことをやっているときは、特別な見えない力が働くこと、直感に従うと導かれるということ。
そして夢が実現するまでやっていたことがあるのですが、「紙=神」に目標を書いて見えるところに貼り付けて、それを毎日見ていたのです。
あの頃はまだ深く理解していませんでしたが、潜在意識を書き換え刷り込んでいたんですね〜。
無我夢中で30代に突入〜人生の岐路に立つ
ギャラリーでの展示会や出版社への売り込み、コンペに出品しながら5年ほど経ったとき、働きながらの制作や活動に限界を感じ始めます。
そして、「絵を描くことは好きだけど、自分の描きたい絵では仕事にならない」という現実の壁にぶつかります。
なぜ周りはうまくいっているのに、自分は仕事に繋がらないのか?
人と比較し、マイナス思考が頭をぐるぐるしながら、全てを外側のせいにしていたため、実際にその現実が引き寄せられていたのです。
- 「美大で基礎を学ばないと評価されない」
- 「あの人はキャリアがあるから成功している」
- 「私は働きながらだけど、皆はそうじゃない」
- 「そもそも始めから環境が全て不利だ」
最終的に、「私が本当に伝えたい、表現したいものは何なのか?」と自分でもよくわからなくなり、必ずしも職業がイラストレーターでは無いような、そんな違和感を抱えるようになっていました。
ここまで無我夢中で走り続けてきたけど、ふと立ち止まったときには焦燥感とモヤモヤでいっぱいいっぱいになっていました。
そして問題を後回しするかのように、東京に残るためにも、「まずは結婚したい!」と活動を一時休止。
人生の岐路、婚活→結婚→妊娠
30代半ばで人生のビッグイベントを一気に体験することになるのですが、特に子供が欲しいと意識してから、今までとは違う人生へ変化したと感じています。
実はこれまで、「いつか会社勤めをやめたいけど、完全な専業主婦にはなりたくない」とぼんやり考えていたのですが、妊娠したことでまさにその通りの方向へ。
妊娠発覚当時に勤めていた派遣会社は、妊娠した途端即解雇というブラックな対応で、強制的に無職に!
そこから、「会社って所詮そんなもんだよね、使えなくなったらお払い箱!じゃあ、もうこの先会社に頼ることはやめて、自力で稼いでやる!」と、吹っ切ることができました。
正社員にはならないという枠を超えて、とうとう自営業の道を選んだ瞬間でした。
吹っ切れたことからまたまた急展開
急に無職になったので、早速自分で稼ぐ方法をネットで探し始めました。
最初からうまい案件には当たらず、数十万円の失敗をしてはまた別の案件で取り返す、みたいなことを繰り返して、やっとたどり着いたのが、無難なせどりビジネスの世界でした。
元々メルカリを利用していたので、物販系は抵抗なく始めることができましたし、今までの失敗を踏まえ、最初は数万円の教材からスタート、2〜3万円のお小遣い稼ぎに成功!
しかしここで、せどりビジネスあるある…あることが原因でアカウント停止になってしまい、同じ手法が使えなくなります(泣)
どうしたものか…と悩んでいた矢先に友人から、「出産までの短期でいいから仕事を手伝ってくれないか?」と依頼されます。
しかもその仕事は、友人の紹介ということもあり、かなり自由度が高く、時間の融通が効いて高待遇というありえない条件で、間違いなく今までの会社での働き方とは一線を画すものでした。
ここでもまたまた、なぜとんとん拍子に進んだのか?
実は突然無職になったとき、その経緯を何気なく友人に話していたのですが、そのことを覚えてて声をかけてくれたのです。
このときも直感的に、「困ったときは助けてくれる人が自分にはいる、守られているから大丈夫」と感じ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
3色パステルアートとの運命の出会い
自宅で稼ぐ方法を探すのと同時に、やっぱり諦めきれなかった絵の世界でも活動を再開させました。
絵を続けるために、「この先育児しながらでも、画材の用意やスペースの確保が楽で、時間がかからないような描き方はないかな?」と探しはじめました。
そこで3色パステルアートに出会ったのですが、自由でOK、人に見せる絵ではなく、自分を表現したり向き合うための絵、上手い下手は関係ないと聞いて、「これだ!」と一気にその世界に引き込まれました。
そして描くだけで心や脳に良い影響があることを知り、イライラモヤモヤの解消、頭や気分がスッキリする効果を体感。
これは感情を整えることに役立つと感じ、イライラしがちなママ達に知ってもらいたいと思うようになり、現在の活動に至っています。
3色パステルアートで本来の自分に
3色パステルアートを描くことで右脳が活性化されるので、五感などの感覚、直感が敏感になり、「自分を知ること、自分と繋がる力」が戻ってきました。
自分を知って自分と繋がる力というのは、「本来自分が持っている能力」のことですが、この能力を取り戻すことで、以下のメリットを得ることができます。
- セルフヒーリングができる
- 自然治癒力が高まる
- 感情を整えることができる
- 幸せを感じやすくなる
- エネルギーワークを使える
これらのことが自分でできたとしたら、医療費や薬代も減りますし、保険に頼る必要もなくなるはずです。
日本は健康保険が使えるため、医療や薬に頼り過ぎている傾向にあり、「とりあえず医者に行って薬を貰えば治る」そう言って、風邪をひいたくらいですぐに医者に行きますよね。
この状態が本当に常識なのでしょうか?一度、疑うことをおすすめします。
なりたい自分になるために
幸せなはずなのに、なぜかモヤモヤを抱えている…ありのままの自分を生きている感覚がない、そんなプレママさん、子育て中のママさん、ワーキングマザーさん、専業主婦さんへ。
平凡な主婦である私の実体験を元に、あなたにも、「自分を大切にして、自分の能力を取り戻し、元気に豊かな人生を楽しんで欲しい!あなた自身を大切にすることは、子供の幸せに繋がるとても大切なこと」そんな想いを伝えながら活動しています。
これまで私がやってきたこと、3色パステルアートを通しての考え方、なりたい自分になるための実践法など…健康で穏やかな気持ちとゆとりを持てる人生を送るために、お役に立つ情報を日々お届けしています。